夢のために自分から中学受験をした話

その他
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今回は何故筆者は自ら中学受験という魔境に足を踏み入れたのかについて書きます。多くの中高一貫校志望者は親の言いなりでありますが、最上位クラスは比較的自分から中学受験をしたいと思った人が多かった印象です。大体7割ぐらいだったかな、6年のこの時期あたりで。その中で学校の勉強がつまらないって人が四割、夢のためって人が五割、その他一割って感じでした。夢の中だと宇宙、医療関係と学者希望が多かったと思います。その中の一人の話。

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小1、奇病発症

小1、運動会前日に血管浮腫という奇病が発症。唇が腫れ、河童のような状態となり病院送りとなりました。泣きわめく筆者に深夜0時であるにも関わらず必死に診察してくれる先生たちを見て、「自分もこんな風に誰かを助けたい」と思ったのが始まりです。その後、いろいろ医療ドラマを見るうちに「金や権力に惑わされず、致命的な状態の人を救える善良な医者になりたい」と思うようになりました。流石に人を鬼にしてでも治療したいとかいうサイコパス的思考は持ってませんでしたが。で、医者はとにかく勉強ができなくてはいけないということを知り、勉強の量を大幅に増やすようになりました。

中学受験開始

そうしたら小学校の勉強が簡単すぎる。チャレンジは目標時間の10分の1で終わってしまい、勉強に飢えていました。考える+ぐらいしか苦しめてくれるものが無く、これで足りるのか?と疑問に思い、更なる高みを目指したいと考えました。

で、幸か不幸か徒歩圏内に栄光学園があったんですよ。中学受験という存在を知りませんでしたが、親に連れられて文化祭に行き、「あれ…ここ近所の中学校の文化祭より楽しくね?というかこっちに入りたいんだけど」と感じる。で、親から中学受験について聞かされ「これは自身を高めることができそうだ」と思い、日能研の夏期講習に参加したり四谷の統一テストを受験したりしました。日能研でボコボコにされ、「無理なのか…?」と思い、たまたま相性が悪かったと言い訳して統一テストを受けたら偏差57。校舎長から是非来てほしいといわれ、「やっぱ俺出来るんじゃん」と調子に乗って入塾しました。これが中学受験の始まりでした。

第一志望に落ちる

2月3日、浅野の帰りの電車で落ちたことを電話で聞く。ちょっと冷静になればサレジオだっていくらでも医者は出てるんだし、そこで夢が終わったわけではないから気にしない方針で良かったはずなんです。が、「医者になって多くの人を救いたい」という目的を「第一志望に入ってより高度な授業を受ける」という方法を以て達成しようとしていたのが、いつの間にか第一志望に入ることが目的となっていた。そのため落ちた時に精神が破壊(自律神経失調症の発症)されたのでしょう。まぁ死力を尽くしても勝てないという現実を見せつけられたというのもありますが。

完全に夢が破壊されて生きる気力を無くす

高校一年、現代文の医学部対策小論文(全員必須)を解くも、何度やっても良い回答を作れない。今までもそのあとも医学部系以外の小論文作成は定期試験で出題された欅坂の「サイレントマジョリティー」の歌詞に関する問題以外すべて最高評価にも関わらず、医学部だけは何度やってもダメ。平均点はおろか最低評価ばかり。悟ってしまいました。

「自分は善良な医者になることは出来ない」

完全に心が折れ、ただでさえやらなかった勉強をますますやらなくなりました。結果が常に下から数えて10位の常連、数Ⅲの定期試験で2点、毎回補講に呼ばれてるアホ。夢云々以前にやるべきことがあるのに、それすら放棄していました。

現在

受験の数か月前になって、新たな夢を見つけました。それまではろくに勉強もせず、偏差値はゴミ。必死に勉強するもダメでした。で、現在日本大学理工学部に所属しています。学科と夢を書くと特定されかねないので書けませんが、今も夢を成し遂げるために日々精進しています。このブログを作ったのもそれを達成するのに必要な能力が養えると考えたからです。

夢は最強のモチベーションとなる

長々書いてきましたが、夢は最強のモチベーションになります。もしご子息、ご息女が受験を辞めたいといったら夢を聞いてみてください。受験をすることで夢に近づけるなら

「その程度の苦痛も耐えられないような人はなれない」

と発破をかけ、全く関係ないならやめさせてもいいと思います。もちろんそれまで勉強していた時間は夢を達成するための訓練に回すということで遊ばせない方針で。スポーツ選手志望とかならイチローの小学生時代を見せることをお勧めします。イチローの小学生時代が載っている自伝本は筆者がもっと勉強せねばと思った契機の一つなのでお勧めです。特になにもなりたいものが無いというなら探すところから始めましょう。

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