当時は地獄だったんですが。
中一の一年夏で一般動詞100個覚えるのにひーひー言っていたと思ったら二年からは毎週100語で半泣きになったり。中三になったら今度は春休み中に例文100個も覚えて来いと言われて絶望したり。200ページある問題集を夏中に終わらせろと言われたときは諦めました。
そんな感じでとにかく暗記や演習量も多かったのですが、それ以上にspeakingの機会が多かったです。高3は受験の関係でほぼspeakingはありませんでしたが、中1~高2までは授業の半分ぐらいspeakingだったと思います。中一からシャドーウィングとオーバーラップを積極的に行い、中三あたりで発音の矯正、高校では英語のみでの発表が毎週のようにありました。いや毎時間かな。全体に向けての発表は事前対策できますし、一対一での発表は忖度が発動するので何とかなりました。しかし英語のみのディスカッション、これも毎週ありましたが非常に重かったです。特に高2のディスカッションは未だにトラウマ。ランダムに作られたチームでメンバーを変えながら8mileみたいなことをやるんですが…
お題はその場で渡されるし、適当に誤魔化そうとするとネイティブの先生や観衆役のクラスメートから突っ込みが飛んでくるし、勝敗つくから下手なことをすると「何やってんだよ~!」って弄られるし…。
8mileみたいなのっていうのはこういうのです。そっくりそのままというのは誇張です。ここから下品な言葉と音楽と韻を抜いて、ターンごとにメンバーを入れ替える形式でした。一人持ち時間は30秒もしくは一分。もう二度とやりたくない。
でもそんな酷な環境にいたおかげか、正しく話せるかは別として英語で話すことに羞恥心を覚える機会はありませんでした。たまに「からかわれるから発音記号通りに話すのが恥ずかしかった」みたいな話を聞きますが、そんな経験は一切なかったので理解できないです。
ただtoeicスコアの点数が高い人より積極的に英語でのコミュニケーションができるあたり、単にテストだけにしか使えない英語では無く、しっかりと他人と話せるようにカリキュラムが組まれていたんだなと今更ながら思いました。適当に流さず、しっかり授業を受けるべきでしたねぇ…大学の英語の授業のやる気の無さと言ったら。まぁ言われなくても勝手に裏で勉強しますけども。