市からもらった縁結びカードなる商品券の有効期限が残り4日となりました。成人式の記念品がこのカードのチャージってなんかもやもやします。本買ったら一瞬で使い切れますが、大学図書館にリクエストすればいくらでも買ってもらえるので使いどころに迷っていたらここまで来ちゃった…。
ここ最近音楽はhiphopと民謡しか聞いていないのですが、『うっせえわ』という曲がなんか問題視されているらしいので聞いてみました。
子供が「うっせえわ」と言ってきて不愉快らしい。
検索候補のヘイトっぷりよ。
感想
思ってたのと違う…なんかあれですね…一昔前のボカロみたいな曲ですね。と思って調べてみたらボカロの作曲している人でした。こう…キレ芸っぽい物をイメージしてたんですけども。あとコメント欄いろんな意味で凄いことになってますね…。
偉そうな目上の人たちに内心で切れてる曲なんでしょうが個人的にはあまり好きでは無いです。文句言う前に自分が生きてきた結果を受け止め、どうにか環境を変える努力をした方が良いんじゃないかとは思いますが、どうなんでしょ。私の尻が青いだけですかね。
あと優等生やってて気が付いたら大人になっているような人は少なくとも一般人と頭の出来はそこまで違わないんじゃないですか。頭の出来が云々とか代弁者がどうこうとか傲岸不遜すぎる気が。自尊心を保つためにそういう設定を作っておくという意味なら分かります。あ、でも作曲者さんと歌っていらっしゃるadoさん本人は違うのかもしれません。うまいこと流行らせたのがkinggnu並の音楽理論によるものなら相当頭の出来がいいんじゃないですか。
それはともかく、なんかこの現象見覚えあるなと思ったらこれでした。
バニラの歌。一時期子供が歌うということで問題視されていた奴です。リズムがいいといまいち意味が分からなくても覚えやすいんでしょうね。
「これ数年後に恥ずかしくなるんじゃ」とか言われてますが、それこそ「うっせぇわ」ではないのでしょうか。人類最初の自然哲学者、タレスも「人間にとって一番難しいことは自らを知ることであり、最も簡単なことは他人に忠告することだ」と言っています。わざわざ嫌いだからってネットで槍玉にあげて攻撃する暇があるなら他にやるべきことがあるんじゃないかと思います。でもなぁ…忠告…うーん。忠告って気持ちよくなるために言っている人と本気で身を案じていってくれる人の二パターンありますが、後者は聞いた方がいいんですよねぇ…。
しかし時代の変化でしょうか。昔の人は行動という形で感情を表している(伝聞ではありますが)のに対し、今の我々若者は発散せず内心でかみ殺してます。それを表しているんですかね。自分で見聞きしたわけでは無いので偉そうに言える立場では無いですが、昔は不良が学校にのさばっていて(我が母校サレジオ学院含む)卒業式に警察が出てくることも珍しくありませんでしたが今ではそんなことはほぼありません。他人に迷惑かけるより裏や心でグチグチ言ってた方がよっぽど健全。でも行動しないのは賛同とみなされても文句言えないからいいとは言い切れない…。
子供がうっせえわと言い出したとして
子供が言い出したとして、一方的に「耳障りだしバカみたいだからやめろ」というのはいかがなものかと思います。納得できないじゃないですか。言葉が違うだけで「うっせえわ」と言っているのと同じですよ。とはいえ好き放題言わせておくのは考えもの。こんなことで止まるかと言われたら微妙なところですが、少なくとも私が妹等にうっせぇわと言われたとしたら「何がどのようにうるさいのか」「同じフレーズを特に何も考えず言うのは動物が鳴くのと同じではないのか」「そもそも『うっせぇわ』は社会人がモチーフの歌なのに中学生が言うのはお門違いなのではないか」「何か言われるのが嫌なら事前に言われない様対策をしておくべきではないのか」「あと流行に流されているのが丸出しで自分の考えを一切持たず『何も考えていないアホです』と言っているように見える」っていいますね。
純粋にこの曲が嫌いで聞こえてくるのが嫌なら「イヤホンつけて」って言えばいいだけじゃないですかね。持ってなくとも安い奴だと500円ぐらいですし、それぐらい買ってあげてもいいんじゃないかとおもいます。
この曲のみを叩くのはどうなのか
しかし、この曲のみ「教育にわるい」と叩くのは如何なものでしょうか。今までだって冷静に考えればろくでもない内容の歌なんていくらでも流行ったじゃないですか。尾崎豊の15の夜、おニャン子クラブのセーラー服を脱がさないで、他にも椎名林檎やサザンオールスターズなど有名な歌手たちがよっぽど不健全な歌詞を作ってますよ。「自分が嫌いだから」とまるで理解を示さないのはどうなんでしょうか。
うーん小論文形式なら余裕で書けるけど記事に書くのって難しいですね。なんかいまいち説得力が無い上に読みにくい文になってしまった気が。私がまだ社会人になっていないというのもあるんでしょうが、それ以前に思考を纏めて文に起こす技術がまだ低いと痛感しました。書き終わってから教授とかライターが書いている記事を見て「やっぱ文を書くプロはちげぇなぁ」と思いましたね。レポートはパクったり他人に一部を任せたりせずちゃんと書いてきたしブログも100記事越えているんだけどなぁ。